なぜ幸せになりたいという願いが幸福を遠ざけてしまうのか?
「幸せになりたい」。
これは人間であればごく自然な感情であり、誰もが思い抱く願いだろう。
しかし幸せになりたいと強く願うほど幸福は遠ざかる。その思いが強ければ強いほど、幸福は砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
なぜなら、その幸せになりたいという執着が人生を不幸に染めるものの正体だからだ。
これは単なる精神論や道徳の話ではない。
心理学の研究においても、こうした心の状態が現実や行動に大きな影響を与えることが明らかになっている。
今回は幸せを強く求めるほど幸福が遠ざかる理由について、心理学的な観点を交えながら解き明かしていくので、ぜひ最後まで読み進めてほしい。
幸せになりたいという心理の裏側にあるもの
幸せになりたいという思いの裏側には、どのような心理が隠れているか考えたことはあるだろうか。
幸せを強く願う人の深層心理にある思い ────
それは「今の自分は満たされていない」という欠乏感だ。
「今の自分は満たされていない」という欠乏感
これは足りないものや満たされていない部分ばかりに意識が向き、いまの自分に与えられている恩恵に気付けていない心理状態といえるだろう。
現代に生きる我々は多くの面で、人類史上まれに見るほど恵まれた環境にいる。しかし、その環境に慣れすぎてしまった結果、本来ならありがたく感じられることを「当たり前」と受け取ってしまう。
たとえば以下のような事柄がそうだろう。
- 雨風をしのげて安全を確保できる住まいがある
- 美味しいご飯をお腹いっぱい食べられる
- 蛇口をひねるだけで浄水処理された水が出る
- エアコンのボタンひとつで部屋を快適な温度に保てる
- 戦争のない平和な国で自由に生き方を選べる
- 世界中の情報に簡単にアクセスできる
現代日本に生きる我々にとっては当たり前でも、世界には今なおこうした環境が手に入らない国や地域が数多く存在する。
朝は太陽とともに目覚め、自分に与えられた仕事や役割を全うし、余暇は家族や友人との時間を大切にする。そしておいしいごはんを食べ、夜はあたたかな布団で眠る。本来、人間はそれだけで十分に満たされるはずだ。
それにもかかわらず、「もっとお金が欲しい」「人から称賛されたい」「恋人が欲しい」と、さらなる刺激や欲望の充足を追い求めてしまう。
これが幸せを強く求める人の深層心理に潜む根本的な思いといえるだろう。
人間というものは不幸のほうだけを並べたて、幸福のほうは数えようとしないものだ。
フョードル・ドストエフスキー
幸せになりたいと強く願うほど幸福が遠ざかる心理学的なメカニズム
多くの人が人生は思い通りにならないと考えている。
しかし、じつは逆だ。
人生は自分が心の奥底で信じている通りにしかならない。
米国の作家・アール・ナイチンゲールはこう語る。
人間は自分が考えているような人間になる。
アール・ナイチンゲール
自分が心の奥底で信じていることは、その信念に沿った行動や態度を引き出す契機となり、結果的に深層心理にある思いが現実になりやすくなる。
これを心理学では「予言の自己成就(self-fulfilling prophecy)」と呼ぶ。
予言の自己成就(self-fulfilling prophecy)
予言の自己成就とは、根拠のない考えや思い込みであっても、それを信じることで生じた行動が結果的にその予測を現実化してしまう現象である。
たとえば「自分は人前でうまく話せない」と思い込んでいると、その不安によって緊張が生まれ、言葉が詰まり、結果的に本当にうまく話せない状況になる。反対に「自分は人前で堂々と話せる」と信じていれば、自然と自信のある態度や行動が生まれ、結果として話がスムーズに進むはずだ。
自らの信念が行動を生み出し、その行動が結果をつくる要因となり、その結果がまた信念を強化する。
豊かな人もそうでない人も、何かを成し遂げる人もそうでない人も、結局は自分の心の奥底で信じていることが現実になっているといえるだろう。
つまり、「幸せになりたい」という思いの強さは欠乏感の大きさの裏返しであり、その「満たされていない」という深層心理が無意識のうちに選択や行動を決定し、本当に満たされない現実を予言の自己成就によって自らつくり出してしまうのだ。
では、その信念はどのように形成されるのだろうか。
その要因といえる現象のひとつが「カラーバス効果(Color Bath Effect)」だ。
カラーバス効果(Color Bath Effect)
カラーバス効果とは、「意識を向けていることほど目に入りやすくなる」という人間の心理的傾向のことだ。
たとえば「赤い車が欲しい」と思った瞬間、街中で赤い車ばかりが目につくようになる現象がその一例である。
「幸せになりたい」という思いの裏にある欠乏感も同じだ。「もっと欲しい」「もっとこうだったら」など、欠乏や不足に意識が向いていると、日常の中で「幸せでない証拠」ばかりが目に入りやすくなる。そして幸せを求めれば求めるほど、心はますます不足や欠けている部分に目を向けるようになる。
その結果、実際には多くの恵まれた環境や出来事があっても、それを認識できず、欠乏感をますます強めてしまうのだ。
そして、この欠乏や不足に意識が向いてしまう要因が、「理想と現実の不一致」による精神的な負荷だ。
この「理想自己」と「現実自己」のギャップが心理的な不安やストレスを引き起こすという考え方を「セルフ・ディスクレパンシー理論(Self-Discrepancy Theory)」と呼ぶ。
セルフ・ディスクレパンシー理論(Self-Discrepancy Theory)
セルフ・ディスクレパンシー理論は、1987年に心理学者エドワード・トーリーによって提唱された理論である。この理論では人が持つ「自己概念」を3つに分類している。
- 現実自己(Actual Self)
自分が現在持っている特性や状態。 - 理想自己(Ideal Self)
「こうありたい」と願う理想像。 - 義務自己(Ought Self)
「こうあるべき」と感じる道徳的・社会的義務に基づく自己像。
たとえば「経済的に豊かで自由な生活を送りたい」という理想と、「現実は支払いに追われている」という状況とのギャップは慢性的なストレスを生みやすい。
重要なのは、このギャップが直接的に「カラーバス効果」を活性化させる点だ。
つまり、理想と現実の差が大きければ大きいほど不足や欠乏を意識しやすくなり、日常の中でその「不幸の証拠」ばかりを拾ってしまう。
こうしてカラーバス効果で欠乏感が強化され、予言の自己成就で「満たされていない」という信念に基づく無意識の選択と行動が生じ、幸福を遠ざけてしまう負のループが完成するのである。
これが幸せになりたいと強く願うほど幸福が遠ざかる心理学的な理由だ。
幸福な人生に必要なのは「足るを知る心」
幸福な人生を歩むためには、「これ以上必要なものなどない」という逆説的な気づきが求められる。
これは決して向上心や成長を否定するものではない。
むしろ「今すでに満たされている」という安心感を土台に行動することで、より豊かで意味のある人生を築けるようになるはずだ。
知足者富(足るを知る者は富む)
老子
これは中国の古典『老子道徳経』の33章にある一節だ。
どれほど多くの物を手に入れても、尽きない欲望に支配されている限り、心は常に不足を感じ続ける。反対に今ある恵みに気づき、感謝できる人は、何も欠けていないという満足感と安心感を得られる。
では「足るを知る心」を育むためには、どうすればいいのか。
そのための鍵は日常の中にある「小さな幸せ」を意識的に見つけ、味わうことにある。
たとえば朝の澄んだ空気を吸い込む瞬間、温かい飲み物で体がほっと緩む時間、家族や友人と交わす何気ない会話。これらは普段、意識せず通り過ぎてしまうほど小さな出来事だが、目を向ければ心を満たす要素に溢れている。
心理学的にも、この「小さな幸せを数える習慣」は幸福感を高める効果が実証されている。
米国の心理学者ロバート・エモンズの研究によると、毎日感謝できることを3つ書き出す「感謝日記」を続けた人は、そうでない人に比べて幸福感が25%高まり、ストレス耐性も向上したという。
より多くを求めてもいい。
もっと高みを目指してもいい。
大切なのは、「それがなければ不幸」なのではなく、「それがあったら最高だが、ないならないで最高」という意識の向きだ。
「幸せになりたい」と追い求める生き方から、「今すでに幸せである」と気づく生き方へシフトすること。
それこそが心豊かで幸福な人生を歩む上で大切なことではないだろうか。
欲しけりゃ求めるな。
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