「不運」と「不幸」の違いを見極めて心の牢獄から抜け出す

心の自由を手に入れるためには不運と不幸の見極めが重要

不運と不幸は違う。
似ているようでまるで違う。

人はみな幸福を求めて生きている。

お金や名誉を欲するのも、恋人や家族を求めるのも、その根底にあるのは「幸福でありたい」という願いだ。

ところが人生には辛く苦しい出来事や避けがたい困難が度々訪れる。「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」と己の人生を呪いたくなるときもあるだろう。

そうして不幸という心の牢獄に囚われる。

釈迦は「人生は苦である」と説いた。
この世の一切は思い通りにならず、すべては苦であると。

これを仏教では「一切皆苦」という。

たしかに釈迦は「すべては苦である」と説いた。
だが「すべてが不幸である」とは一言も語っていない。

この不運と不幸の違いを知ることが心の平安を手に入れる第一歩となる。

不運と不幸の違いは「外的要因」と「内的要因」の影響度

不運とは意図せず引き起こされる望ましくない出来事を指す。
病気やケガ、災害、事故、失敗、裏切り、別れ、死別などが不運に該当するだろう。

一方で不幸は自分が「幸福でない」と感じる心の状態を意味する。
病やケガで身体が思い通りにならないと憤る状態、あるいは大切な人との死別によって喪失感に打ちひしがれている状態などがそれにあたる。

不運は外的な要因に左右されるが、不幸は内的な要因、つまり自分自身の心の在り方に大きく影響を受ける。

不運はコントロールできない。
しかし不幸は己の捉え方ひとつでその姿を変える。

なぜなら不幸は「出来事そのもの」ではなく、「出来事をどう受け取ったか」という内面の反応から生まれるものだからだ。

ここに両者を分ける本質的な違いがある。

突然の雨は「不運」で雨を嘆いている心の状態は「不幸」

不運は突然降ってくる雨のようなものだ。何の前触れもなく降ることがあり、それを止めることは誰にもできない。

一方、不幸はその雨に対する心の捉え方だ。突然の降雨に対して「なんでいきなり雨が降るんだ」と嘆くこともできれば、「たまには濡れるのも悪くない」と雨音を楽しむこともできるだろう。

突然の雨という不運な出来事はコントロールできないが、その雨をどう感じるか、どう受け取るのかは自分の心の在り方ひとつで変わる。

つまり不幸という心の牢獄を作り出してるのは自分自身なのだ。

POINT
  • 不運
    外的要因によって起こる望ましくない出来事。
    自助努力ではコントロールできない。
  • 不幸
    自分が「幸福でない」と感じる心の状態。
    出来事の捉え方次第で幸にも不幸にもなる。

愛する人との死別は「不運」ではあるが必ずしも「不幸」ではない

たとえば愛する人との死別は不運な出来事だ。
この世で最も辛い出来事のひとつといえるだろう。

人は決して死という運命から逃れられない。

あなたがその人をどれだけ大切に想っていても、あるいはその人があなたをどれだけ愛していても、いつか必ず死という運命が二人を分かつだろう。

その別れはコントロールできない。
いつどうやって訪れるのかもわからない。

審判の日がやってくればあなたは絶望し、「なぜ自分だけがこんなにも不幸な目に遭うんだ」と嘆き悲しむだろう。

だが愛する人との死別は本当に「不幸」なのだろうか?

その深い悲しみは、それだけ大切に想える存在と出会い、心を通わせた証でもある。たとえどれだけ悲しくて辛くても、その人と出会えたという経験は、あなたの人生にとってどんな宝石よりも光り輝く宝物のはずだ。

失う悲しみの大きさは、自分に与えられていた恩恵の大きさと比例する。

その悲しみを否定するということは、愛する人との出会いや思い出をも否定することなのだ。

幸福か不幸かを決めるのは自分の心のありよう

日本の哲学者・文筆家である池田晶子は、著書の中で幸福と不幸についてこう語っている。

生きている限り、不幸は必ずやってくる。
つらくて苦しくて、自分はなんて不幸なんだろう、そういう時は誰にでも必ずやってくる。

だけど、不幸は、いかにそれが外からやってくるもののように見えても、やはりどこまでも自分の心が作り出しているものなんだ。

不幸だと思うその心が不幸なんだ。
幸福だと思うその心が幸福なんだ。

幸福も不幸も自分の心のありようなのだということを忘れさえしなければ、これからの人生、どんな困難に出合っても君は幸福になることをあきらめずにいられるはずだ。


引用:『幸福に死ぬための哲学 池田晶子の言葉(p.28)』

不運は人生に不可避な訪問者だ。
決して避けられないし、逃れることもできない。

病気やケガ、災害、事故、失敗、裏切り、別れ、死別。
こうした不運な出来事はいずれも予告なく訪れ、望もうと望むまいと容赦なく扉を叩いてくる。

しかし不運と不幸は同じではない。

不幸は心の在り方ひとつで幸福にも転じ得る。
不幸という心の牢獄を作り出してるのは、他の誰でもない自分自身だからだ。

そして心の牢獄を作り出しているのが自分であるなら、その牢獄から抜け出すことができるのもまた自分しかいないんだ。

反 逆 の 幸 福 論
不運はコントロールできないが、不幸は己の捉え方ひとつでその姿を変える。

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PROFILE

アラン・スミシー

何者でもないどこかの誰かさん。

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