リンゴに学ぶ幸福と不幸の本質|僕もあなたも目を開けたまま夢を見ている

我々が見ている現実は脳が作り出した主観的体験にすぎない

僕たちの眼前には確かに世界が存在している。

しかし我々が見ている世界は感覚器官が光や音を受け取り、それを脳が処理することで構成された知覚にすぎない。我々が現実そのものだと信じている世界は「客観的な実在」ではなく、脳が生み出した「主観的な知覚の世界」なのである。

このことは次の比喩によって理解できる。

リンゴは赤いのではなく、赤く見えているだけ。僕たちは誰一人としてリンゴの本当の色を知らない

哲学や脳科学の分野では、この知覚の主観的体験を「クオリア(qualia)」と呼ぶ。

仏教の唯識思想においても、森羅万象は心の働きによって現れたものと説かれている。つまり我々が見ている世界は独立して存在するものではなく、心の作用を通して立ち現れているのである。

赤いリンゴは「赤色」ではなく「赤色に見えている」だけ

赤いリンゴは「赤色」ではなく、光の反射を脳が処理した結果「赤色に見えている」だけでしかない。

たとえば鳥類の多くは4種類以上の錐体細胞を持っており、3色型色覚の人間よりも多彩な色を識別できる。また、ミツバチは紫外線を感知できるが、赤色を視覚的に認識できないという。

つまり人間と鳥やミツバチではリンゴの色合いが異なって見えている。

もし彼らと会話できるとして、「リンゴはこんな色だよね」と語りかけても、おそらく「はぁ?」と怪訝な顔をされるだろう。

しかし、そこにあるのは同じリンゴだ。
人間も鳥もミツバチも同じリンゴを見ている。

客観的な実在としてのリンゴの色は誰にもわからないのだ。

究極的にはリンゴはリンゴですらない

さらに言うならリンゴは「リンゴ」ではない。
ただの「それ」だ。

僕たちがリンゴだと認識しているものは、無数の分子や原子で構成された「何か」だ。

人間の脳による認識ではそれが「丸くて赤い物体」に見え、それを「果物」とカテゴライズし、勝手に「リンゴ」と定義しているにすぎない。

したがって、リンゴは赤いのではなく「赤く見えている」だけであり、本質的にはリンゴは「リンゴ」ですらないといえる。

幸福も不幸も客観的な実体はなく主観的なもの

我々は「幸福」や「不幸」というものが客観的に存在しているかのように感じている。

しかし、幸福や不幸というのは、リンゴと同じく我々の脳と心が生み出した主観的な体験にすぎない。

たとえば、ある人にとっては雨の日が憂鬱で不快に感じられるかもしれない。しかし別の人にとっては雨音が心を落ち着ける癒しとなり、幸福感をもたらすこともあるだろう。事実、僕がそうだ。

もっと世俗的な例え話をするなら、平均以下の年収でも慎ましく質素な暮らしに喜びを見いだせる人がいれば、高収入でもさらなる富や名誉に執着して常に不足感を抱えている人もいる。

人間関係についても同様だ。常に恋人がいなければ心が満たされないという人がいる一方、一人で過ごす孤独の時間に最も充実を感じるという人もいるだろう。

同じ出来事であってもそれが幸福にも不幸にもなり得るのは、幸福や不幸が実体として存在するわけではなく、己の解釈によって意味づけられる主観的なものだからだ。

心のあり方や意識の向きが変われば世界も変わる

もし客観的な幸福や不幸が存在するのであれば、我々人間は環境や状況に翻弄されるしかない。豊かさは金銭の多寡によって決定され、愛情は常に恋人の有無に依存するといった具合だ。

しかし、幸福や不幸が主観的な解釈の産物であると理解すれば、僕たちは自らの心のあり方や意識の向きを調整することで、世界の見え方そのものを変えることができる。

たとえば、病気を「不幸な出来事」とみなせば苦しみになるが、「健康の尊さを知る契機」と捉えればそれは内的成長の源泉になり得る。

大切な人との死別も同じだ。愛する人を喪う経験は耐えがたい苦しみを伴う。しかし、「人生の無常と残酷さ」をただ嘆くのか、それとも「その人と出会えた奇跡」に心を向けるのかで体験の意味は大きく変わる。

重要なのは、目に見えている世界や感じている現実が唯一の真実ではないと気づくこと。

結局のところ、僕もあなたも目を開けたまま夢を見ているのだ。

それを理解できれば、社会に刷り込まれた常識や古い価値観から自由になれるし、他者の見方や考え方も尊重できるようになるだろう。

反 逆 の 幸 福 論
リンゴは赤いのではなく赤く見えているだけ。
あなたが認識する世界もそう見えているだけ。

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アラン・スミシー

何者でもないどこかの誰かさん。

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