人生には8つの苦が存在する|四苦八苦
生きることは苦しむことだ。
誰であろうと老いや病からは逃れることはできず、いつか必ず死が人生のすべてを奪っていく。
この「生」「老」「病」「死」という4つの根源的な苦しみを仏教では「四苦」と呼ぶ。
そして人間である限り避けられない苦しみがさらに4つある。
愛する者と別れる苦しみ「愛別離苦(あいべつりく)」、憎い相手とも関わる苦しみ「怨憎会苦(おんぞうえく)」、求めても得られない苦しみ「求不得苦(ぐふとっく)」、心身が思い通りにならない苦しみ「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の4つだ。
この4つの苦しみと、生・老・病・死の四苦を合わせて「四苦八苦(しくはっく)」という。
- 生苦:生まれる苦しみと生きる苦しみ
- 老苦:老いへの恐れ
- 病苦:健康を損なう不安
- 死苦:存在の終焉に対する恐怖
- 愛別離苦:家族や友人との別れ
- 怨憎会苦:人間関係の摩擦や衝突
- 求不得苦:求めても得られない渇望
- 五蘊盛苦:心身を制御できない苦しみ
仏教の根幹を成す教え|空と色
仏教において四苦八苦は、この世に生きる限り決して避けられない苦しみであると説く。しかし同時に、その苦しみは絶対的な実体を持つものではないとも説かれる。
なぜなら、あらゆる存在は変化し続ける無常のもとにあり、固定された自我や実体はどこにもないからだ。
釈迦はこの真理を「空(くう)」という言葉で表した。
現代的に言えば、この世の一切は素粒子の集まりでしかなく、分子や原子が異なる秩序をとることで現象的に立ち現れていると解釈することもできるだろう。
しかしミクロで見れば素粒子の集まりでも、マクロな視点ではたしかに物質や現象はそこに存在している。
我々が認識する物質的な現象や存在全般を仏教では「色(しき)」と呼ぶ。
この世の一切は固定的な実体を持たない|色即是空
苦悩はそこに存在するように感じられる。
心身の健康に関する苦しみ、人間関係の悩み、お金の問題、将来への漠然とした不安など、たしかにそれはあなたの心の内に巣食っているだろう。
病を患えば起き上がることもできず、怪我をすれば鋭い痛みが走る。それは幻想でも妄想でもなく、たしかに経験としてそこにある。
空とは、苦しみや痛みが虚構であるということではない。すべてのものは独立した実体を持たず、他の関係性との連鎖によって生起するということだ。
苦悩は固定された実在ではなく、意識の向きや欲望への執着によって成立しているにすぎない。
- あなたが不幸だと感じる状況でも、別の人は幸福だと捉えるかもしれない
- あなたが幸福を噛みしめていても、別の人にとっては不幸に映ることもある
たとえば砂漠で干からびそうになっている人にとっては、たった一杯の水が神の恵みに等しい価値を持つだろう。その状況で札束はただの紙切れだ。
病で余命が限られている人にとって、一日一日の時間は黄金よりも遥かに尊いものだろう。しかし若く健康で時間を自由に使える人にとっては平凡な一日でしかないかもしれない。
このように幸福や不幸に絶対的な実体はなく、心のありようや他の現象との関係性によって生じるものといえる。
色、即ち是、空なり。
これを仏教では「色即是空(しきそくぜくう)」という。
苦しみや悩みは外側の世界ではなく自分の心が作り出している
お金に関連する苦悩
たとえば金銭的な悩みを抱えている人は少なくない。
しかし、この日本で本当に衣食住に困窮している人はごく少数にすぎないのではないだろうか。
お金に関連する悩みがあったとしても、多くの場合は生存に直結するような一刻を争う問題ではなく、見栄や虚栄心に起因する欲望が絡み合って生じている場合が多い。つまり「生きるために必要なお金が足りない」のではなく、「遊びや贅沢に使う余裕がない」といったものだ。
経済的な余裕がなくとも質素倹約を旨として節約を工夫したり、散歩や読書などの趣味を楽しめるなら、それほど多くのお金を必要としないはずだ。
これは僕の経験談だが、むしろ「持たない喜び」に心の向きを変えるだけで、日々の生活は驚くほど満たされたものになる。
結婚に関連する悩み
また、「結婚したいが良い伴侶に巡り会えない」といった悩みを持つ人も多いかもしれない。
「すでに良き伴侶がいて、その人と添い遂げたい」という望みであれば自然な幸福の追求といえるだろう。しかし「良い伴侶と巡り合って結婚したい」と焦り、そこに苦しみが生じているのなら、それは世間体や期待に起因する苦悩ではないだろうか。
「結婚したい」という望みを否定しているわけではない。
そうではなく「未婚」という状況に「焦り」を感じ、それを「不満」と認識しているのは自分の心だということだ。
こうした悩みもまた、固定された実体を持つ苦しみではなく、心の向きや欲望によって生じる相対的なものといえるだろう。
苦悩の正体を見破って心の自由を手に入れる
人間は四苦八苦から逃れられない。
しかし苦しみや悲しみが空であると見抜ければ、その苦悩に振り回されることは少なくなるはずだ。
苦悩は独立した実体を持つものではなく、同じ状況でも人によって感じ方が異なる。砂漠では一杯の水が命の恵みとなる一方、札束はただの紙切れにすぎないように、喜びや苦悩は絶対的なものではなく心のありようによって変化する。
苦悩の原因は外側にあるように見えるかもしれないがそうではない。
悩みや苦しみはどこまでいっても己の心が作り出しているものなのだ。
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